今日は夏の甲子園大会決勝戦がありました。

 今日は甲子園決勝戦があり、慶応義塾高校が107年ぶりの優勝という快挙を成し遂げました。まさに「世紀を超えた」栄冠を手にした、というワードが頭の中で浮かび上がってきました。自分が生きてきたのも半世紀で甲子園大会もそれなりの年数を見てきましたので、やはり時代の流れというものに気づかされます。我々第2次ベビーブームの世代は青春時代もバブル景気最盛期の時代を経験していて、"3高”などという言葉も生み出される位偏差値の高い学校に行く事が崇拝されました。当然競争も苛烈になっておりましたので、勉強も必死にやって少しでもレベルの高い学校を目指したものです。

 そうなるとどうしても偏差値の高い学校は頭が良いがスポーツは弱く、そうでない学校は勉強は今ひとつでもスポーツは全国レベルの強豪校、なんていう棲み分けのようなものがありました。その中でも慶応義塾とは言うまでもなく我が国きっての高偏差値の名門校です。慶応と並び称される名門校の早稲田は私の若かりし頃より甲子園大会にも何度か旋風を起こしたことがあるくらい野球部は強い印象がありました。しかし慶応高校はというと甲子園大会で名前を聞いた記憶があまりなく、今回の優勝も第2回大会以来の107年ぶりの優勝というのもうなずけます。ともかくとしてこの快挙を成し遂げた慶応義塾高校の皆さんおめでとうございます!

 と、訳知り顔で高校野球について語ってしまいましたが、実は今日の決勝戦もずっと家にいながら9回裏しか見ていませんでした。野球観戦がそれ程好きという訳でもなく、たまたま母が見ていたテレビの音声からいよいよ決勝戦も大詰めを迎えている感じになっていたのでふと見てみたら慶応が強豪の仙台育英高校に9回で8-2のリードで勝っているので、これは歴史に残る快挙の予感がしたので見入ったのでした。ですからこれ以上私が野球について語るのも真剣な野球ファンからお𠮟りを受けそうなのでこれくらいにしておきまして、では一体ずっと家にいながら何に没頭していたかというと、これが以前の記事の中でも少し書かせてもらった在宅ワークなのでした。

 私も1年以上無職生活をしておりさすがに収入源を見つけなくてはという考えからPC1台で稼げる在宅ワークというものに飛びついたのでした。具体的にもにをしているのかというと、手始めにランサーズやクラウドワークスといった仕事の委託を会社や個人が自由に受発注するサイトで仕事をしてみる事にしました。しかし当方はPCに触れたのはWindows XPかWindows 6,7辺りでピタリと止まっていた上にタイピングも遅く簡単なタスク作業の仕事でも時給換算したらとても効率良く稼げるとは言えません。

 では一体どんな仕事が効率良く稼げるのかとYouTubeでいろいろ探ってみます。そんな中でもものの2ヶ月で月収○○万円、2年後には○○○万円などと自信満々に語る若者YouTuberのなんと多くいることか。しかもそのノウハウをYouTubeで教授してくれるので実質的な先行投資がほぼゼロから始められるというのが魅力です。

 その中でも私が取り組んでいるのがAmazonのサービスでkindle direct publishingという電子書籍や印刷本などを無料でセルフ出版が出来るというのを利用した絵本作家

にチャレンジしてみました。これをこの8月から始めてもう2冊の本を出すことができました。売れるかどうかは置いといて、これがすごくやっていて楽しいのです。収入にならないうちはただの趣味に過ぎないことをしているようでも、ひとたび売れたら印税収入が長年に渡りAmazonから振り込まれてくるという夢のような話です。しかも自分が全く文才や絵心が無くてもストーリーや絵画はAIが瞬時に作ってくれる時代です。

 今は売れなくても将来の種蒔きをしていると思うと楽しみで仕方有りません。今後もこの活動報告などをちょっとずつしていこうかなと思っていますのでよろしければまた覗きにきてください。

 今日もご覧くださいましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

夏の思い出

お盆の期間も終わり、再び世間では平常運転の様子が戻ってまいりました。

 テレビを観ていると高校野球もベスト8が出そろい、あれっ、今日は試合やってないの?とおどろいていると、確かに残りのチーム数が減ってきた為インターバルが開けられているんだなと分かります。こうなってくるといよいよ甲子園もクライマックスが近づき夏休みも終わりが近くなっていると気づきます。

 この時期になるとふと蘇ってくる記憶があります。というよりかは10年ほど前に突然思い出された記憶なのですが、それ以来私が母と向き合う態度が180度変わったといってもいい程のこととなりました。

 その思い起こされた記憶というものは、私が以前の記事でも申し上げた通り私は3歳くらいからずっと今住んでいる地域が変わっておりません。途中学生時代や社会人時代に県外で一人暮らしした経験も数年ありましたが、だんだん高齢になっていく両親だけをほっといているのも心配なところもあったし、正直なところ自分の不甲斐なさで完全に自立した独身生活というのがしんどくなった一面もあって実家に舞い戻ってきたのでした。

 さて、前置きが随分と長くなってしまいましたが、その呼び起された記憶というものが私の小学校1年生の時におこった事でした。母親に対する態度が180度変わったなんてとよっぽどの事件でもあったのかと思われるかもしれませんがそんな事はありません。小学1年生の自分は幼い頃からわんぱくで、同級生の中でもガキ大将的な立ち位置にいました。そんな子が小学1年の夏休みに(よし、今日は冒険で見知らぬ遠いところまでひとりでいってみよう。)と思い立ち、そのまま家を出て見た事がない景色のある方向を目指しながら歩いて行ったのでした。

 時間帯は昼の1時過ぎくらいだったかと思います。それから1時間も過ぎない位に辺りはすっかり見た事がない地域まで来ていて、そこで急に不安になり帰りたくなって家を目指して帰ろうとします。それから30分ぐらいさまよいましたが、見える景色はずっと知らない景色です。どうやって帰れるのかわからない恐怖から泣きたい気持ちになっておりました。その間は知り合いにも会わないどころか、不思議と町ゆく人達さえ人っ子ひとりいなくなったかのような殺風景なところを歩いていたような感覚さえありました。そうやってさまよっていると突然すぐ後ろから「○○○、アイス買ってきたよ。」と聞えたので振り返ると自転車で買い物から戻って来た母の微笑がかった顔がありました。周りの景色を見てみますと家から数十メートル程しか離れていないところにいつの間にかたどり着いていました。その時の私の心境は母が本当に女神のような救世主に感じた記憶があります。ただ母からしてみればものの2時間程度近所で遊んでいたんだろうぐらいの事だったと思います。

 今はすっかり高齢で半分ボケてしまった母を面倒みているとき時々この幼い頃の記憶が呼び戻され、完全に迷子になって半ベソかいていた自分を優しい笑顔で救い出してくれたヒーローにみえた母を思い出させてくれます。なぜこの他人からしてみたらどうでもいいようなエピソードが蘇り、母親に対する態度を一変させるまでに至ったのかは全く謎ですが、それがいまの介護生活の大きな後ろ盾になっているのは確かです。

 改めて考えてみると自分が小学1年生の時に体験した迷子は実はパラレルワールドに入ってしまっていて、その記憶は長年忘れ去られていたが記憶が蘇ったことがきっかけとなり、私の人との向き合い方まで脳のプログラムを書き換えてしまった。そしてそうなる運命はあらかじめシナリオとして決められた事だった、などと最近オカルト好きが講じてつい深読みしてしまいます。

 そんな事を思い出しながら最近の子供は外で遊ばなくなったなと夏休みも終わりが近づく公園を眺めてちょっと寂しく思えたのでした。

 ご覧くださいましてありがとうございました。

 

 

 

仕事の話です。

私はこれまでの話の中で何度か無職であるという事をお話してきました。

そうはいっても就職活動中でなかなか仕事先が見つからないだとかいう話でもなくて、今の生活スタイルにあった働き方で尚且つ効率的に稼げるようになりたいと考えているので、これまでの様な自分の労働力を時間で切り売りしたような給料を得るために新しい職場を探す気にもならなかったのでした。それでも仕事をする事が嫌なのではなく毎日仕事には関わっていたいというのは有ります。ではどんな仕事をするのかという事になりますが、やはり労働者からの脱却をしなければならないと思い自分の会社を持つのをまず目指すことを考えました。

ではどんな会社を作ったらいいのだろうか、自分が一番長く携わってきた建設関係でいくのか、はたまた資格や許可などのハードルが低い飲食店経営を目指すべきなのか、いやいやそれをずっと辞めずに取引先などからの信頼関係がまだ続いていたら成功する可能性もあるのでしょうが、良くて収支がトントンレベルなら借金をするリスクしか有りません。50歳を過ぎた中年のおやじがありきたりの仕事を始めたところで危なっかしいだけで期待される成果は得られないでしょう。

他に可能性はないのだろうか、貧乏生活から大金持ちになって成功したビジネス書なども読み漁っていろいろ考えてみると、自分の目指すべき方向は大富豪の人達と同じような感じではあったので自信はみなぎってくる。だが初めの一歩は小資金で法人化が出来てリスクを少なく潤沢に仕事もあるものと考えると、これはもうWeb関連の仕事を考えた方がいいんではないかと思い、連日YouTubeやネット上で稼ぎ方の情報を探したのでした。その手始めがこのブログです。しかしこのブログも全くの初心者から始めるわけで、最初から収入になる訳はありません。将来的にも収入ゼロで終わる可能性も有ります。ですからその他の手段として動画編集やWebデザイン、Webライターなどのスキルを身につけたほうがより実収入に近づけると考えました。しかも今の時代はAIがあらゆる分野で活用されてきて、しかもどんな人でも手に出来て扱いやすいという優れものです。この辺りのスキルを身に着ければ仕事量にも困ることはなく、しかも昭和時代の仕事観では想像もつかないくらい効率良く稼ぐことができるのではないかと期待できます。

そんな流れでこの8月に入ってからというものは新しくメモリの大きいPCを購入し、AIを導入していろいろ奮闘中です。

このブログもある程度記事が書き溜まってきたらもう少し見栄えのあるカスタマイズをしながら閲覧してもらえ易くなるように変わっていく事でしょう。そんな事があるまでどうか皆さん末長く応援のほどよろしくお願いいたします。今日もご覧くださいましてありがとうございました。

今日はサマージャンボ宝くじの販売最終日です。

こんにちは。今日も大変暑かったですね。

今日はこんなにも暑い中宝くじを買いに行って来ました。宝くじに全く興味がない方にとってはとてもつまらない話になってしまうかもしれませんが生来の他力本願で職なし金なしの自分にとってはこの日を逃してはならないくらい1年を通じてもめったにないくらいの吉日らしいです。まず大安日であり、その上くじ運が最も良くなるとされる天赦日である事と、ある事が万倍になって効果が上がる一粒万倍日、などなど物凄く運気が上がる日柄が重なっている日らしいのです。しかも今年のサマージャンボは発売初日の7月4日も珍しいくらいの吉日が重なっており、その情報を発売前からキャッチしていた私はこれは絶対何か起こりそうな予感がすると思い、何がなんでもこの初日と今日の最終日はこの地方ではよく高額当選が出ると言われている売り場まで電車で買いに行こうと決めておりました。

7月4日の時は吉日とあっても平日の昼間ということもあってかまだ多少の並ぶ時間があってもすんなりと買えた方でしたが、今日の最終日は色々研究した結果午前中の9時から11時の時間が「巳の刻」でその時間帯に買ったほうが金運が上がるとのことだったので何とか11時前までに売り場までたどり着いたんですが、ものすごい人の行列が出来ておりました。私は長年その売り場には買いに訪れていましたがこんなにも多くの人が並んでいるのは見た事が有りません。初日の4倍は優に集まっていました。その行列を最後尾から並んでいたら買えるのは恐らく2時間後でし

ょう。いくらなんでもこれまで多くの高額当選を出してきたラッキーな売り場だからといってその売り場に固執して2時間並んでも当たる保証はどこにも有りません。しかもその売り場は駅前にあるので、数メートル離れたところにも売り場があり、その売り場には列が出来ておりません。

私は言うまでもなく並ばなくていいほうの売り場で買いました。酷暑の中時間を無駄にすごしたくなかったし、吉日であるのは日本中どこも同じはずだとの考えもあったし、それでも敢えて2時間並んで買っても外れた場合のショックはさらに心のキズが大きくなりそうだなと思ったのでそこまでの執着心が芽生えてこなかったんです。

そもそも宝くじの還元率は40数パーセントで半分以上はお金をドブに捨てるような行為で競馬、競輪よりも確率の悪いギャンブル投資です。お金持ちや頭のいいひとは見向きもしないでしょうが、当選金額が大きいので一発逆転の人生を狙っている人にとってはついつい買いたくなってしまいます。

私もせっかく街まで出てきたので買い物や昼ご飯を食べた後にこの列が短くなっていたらちょっとだけ並んで宝くじを買い足してみようかと思いその場を離れましたが、その3時間後も列は更に長さを増していたのでした。いやはや人の欲望もとどまることがないなと寒気を感じて帰路に着いたのでした。

皆さんも熱中症に充分注意してお過ごし下さい。読んで頂きありがとうございました。

 

明日から8月です。

8月といえばお盆がやってきます。お盆とは言うまでもなく先祖供養の儀式で元々は旧暦の7月15日に先祖の霊があの世から帰ってきて家族とともに過ごし再びあの世へ帰っていくという仏教の教えに結びついた儀式です。

今日はその準備の為お墓の掃除とお花のお供えをしに行って来ました。この連日の酷暑なのでなるべく早めに到着して作業する事にします。私が無責任な若い頃はこんな事やるはずもない人間だったのがこの歳になると身体も衰えてここまで生きてこれたのも色んな人々やもちろんのことご先祖様のおかげでもあるのだということに気付かされたので日本古来の信仰や風習を大切にするようになったのです。掃除にしても事務的に早く終わらせようだとかいやいやながらやってしまっていると気持ちも重たくなり段々億劫になってしまいますが、仏教の教えでは日々の清掃で塵一つなく清潔に保つことが得を積むことをしているという教えがあるそうです。

そういった気持ちで丁寧に清掃を進めていきますと気持ちも清々しくなり、作業も苦も無く進められます。そうは言ってもこれは単にお盆の準備段階のひとつでお盆期間中のする事といえば、

12日、お迎えの準備があり、お仏壇のお供え物やお花の準備があります。さらに13日は迎え盆といって、位牌を仏壇から精霊棚に移しお供え物を整えます。こ のほかにお墓参りをしたり夕方に迎え火を焚き盆提灯に明かりをともすのもこの日に行います。

14日15日はお盆の供養日で棚経をあげ精霊棚にお供え物を欠かさずにお盆の法要をします。またこの時に家族や親戚が集まり一緒にお参りをして家族全員で会食をしたりします。

16日は送り盆といってこの日の夕方に送り火を焚きます。17日は後片付けという具合に連日必要な儀式があります。

若い人達は夏休み中レジャーやイベントなどに夢中で明け暮れて家族の行事には参加せず、また社会人であってもブラック企業に勤めたりしたらこんなにもお盆休みがもらえなかったり、そもそも飲食業などのサービス業ではお盆休み期間は書き入れ時で仕事を休めなかったりする人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

今一度歩む速度をゆるめて自分が正しいバイアスで行動しているのか見直してみるのもいいのではないかと思ったりしてます。

お読みいただきましてありがとうございました。

健康を維持する食生活の大切さ

私が母の介護をするようになり、食事の献立を何にするかというのは私の一日の仕事の中でも最重要課題になっています。普通の主婦なら小さいお子さんや不規則な時間で帰ってくる旦那さんなど色んなパターンにも合わせながらの食生活にも対応しなくてはいけなかったりと私なんかと比べても遥かに難易度の高い家事をこなしていらっしゃるかと思うので尊敬に値します。

さて私がまず献立を作るにあたってまず第一に考えることは、歯が少なくなった母は固いものが食べられなくなったので柔らかい物しか手を付けない事があります。これによりメニューのバリエーションがかなり狭くなり、多少好き嫌いが激しくなってきている母と私が共に食べられるものと考えると毎日同じ様な食事になってきます。

次に考えなくてはいけないのが栄養バランスです。4年前に退院してきたばかりの頃は輸血も2単位を毎週輸血するぐらい血液も減っていました。なので本人は食べたがらなくてもなんとか栄養価の高いものを食べさせたほうがいいと思い、肉の多いものを中心に食事を出していました。それが功を奏してか半年後には輸血が要らなくなり、1年後にはヘモグロビン値が倍の数値で安定してきました。ただ1年で体重も10kg増え、今度は体重を減らしていくような食生活に切り替えていくしかありません。そうなってきますと私の食事も同時に貧相な感じになっていく訳ですけれども、私もいつまでも若いわけでもなく段々あっさりした物のほうが体に馴染んできているようです。

最近では納豆を好んで食べており、その納豆もそのまま食べるのではなくオリーブオイルと掛け合わせた「納豆オイル」という食べ方をするのが良いという情報を耳にしたのでご紹介します。

毎日の食事でスーパーなどで売っている小さなパックに小さじ一杯のオリーブオイルを混ぜるだけで、納豆のビタミンK2が骨を強化し骨粗鬆症予防になります。またオリーブオイルにも骨に吸着する作用があり相乗効果があります。オリーブオイルは抗酸化作用のあるエキストラバージンオリーブオイルを使用するのが良いとされ、美肌作り等のアンチエイジング効果が期待できます。またオリーブオイルは天然の便秘薬と言われるほど便秘を解消する効果も有ります。また納豆には血液をサラサラにする効果も有り、納豆ネバネバにはがん予防の効果があるそうです。またオリーブオイルは血糖値が急に上がるの防ぐ効果があるようです。これら納豆とオリーブオイルのベストマッチはエクオールという女性ホルモンに似た腸内細菌を増やし更年期障害を防ぐ効果があったり、感染症予防やアルツハイマーの予防にも効果があったりといい事づくめです。

ただし気を付けて頂かないといけないことにこの日本で出回っているエキストラバージンオリーブオイルのうち本物といえるものは73種類中3本だけという恐ろしい情報があります。これは高温高圧で精製されたトランス脂肪酸の多く含まれた粗悪品やキャノーラ油など安価な油でカサ増しをした物、遺伝子組み換えの食物油を混ぜたものというような品質偽造が行われていたりしています。これには日本がIOC(国際オリーブ協会)に加入しておらず、品質基準の低さが問題としてあります。また輸送環境の悪さの問題もあり、コンテナ輸送では温度が50℃まで上がってくるような暑い地域を通って日本に運ばれて来ます。

そんな中で良いオリーブオイルを買うためにはDOP、IGP、有機JASEUオーガニックなどの品質マークの入ったもので、入れ物がプラスチック製などの安価な物は避けて濃い色のビン製のものを買うのがいいようです。食材にも色んなところで落とし穴があるので気を付けなくてはいけませんね。

本日も読んで頂きありがとうございました。

母の医療費について

 このブログを書き始めてから母の介護生活を主に書いてきましたが、年齢も85歳ともなってきますと色々と弱ってくる箇所が出てきては病院に連れていくということが増えてきます。

 前回までの記事で母は4年前に急に歩けなくなり、要介護認定4の状態になり車椅子での生活になってその1年後には要介護認定1になりました事はお伝えしましたが、その後も幾つかの病気を発症して入退院や通院を繰り返しています。

 順番にお伝えしますと最初の膝関節の治療で飲み続けているステロイド薬の副作用で骨粗しょう症になり、1年後に背骨の圧迫骨折が起こり入院。ちょうどその頃はコロナのピーク第3波といわれた頃で年明け早々というのもあってか入院を受け入れてくれる所を探すのにも苦労しました。そしてその入院中に容態が悪化し胆石が胆管を詰まらせる病気が発症し緊急手術が必要になりますがその病院では設備が足りないので急遽転院するという状況になりました。手術は無事終了し一ヶ月程その病院に入院していましたがその後再び背骨を折った時にかかった病院へ戻り再入院。その入院中に最初折れていた箇所とは違う背骨の箇所が折れてしまい今後の治療方針として専用のコルセットを作り、骨粗しょう症に効き目がある自己注射を2年間投与していくという事で退院をしました。

 ここまでの事をみても私の母は急に体調が悪化しても直ぐに診てもらえる優秀な医師の先生に支えられ、高度な治療を受けることができるにもかかわらず治療費は1割の負担額で安く、しかも高額医療の限度額適用認定のおかげで月々の医療費は8000円に収まるといった具合でこの国の高齢者に対する社会福祉は世界でもトップクラスに充実しているなと実感させられます。その様な治療を受ける生活を数ヶ月過ごしていた時にまた事件がおきます。

 私自身が病気で入院するという事が起こりました。そして同居の母親を面倒見てもらうという目的だけで同じ病院に「レスパイト入院」という方法がある事を教えられました。その入院中に母は心不全になり、急に脈拍数が30前後に落ちるといった事態になったのです。即刻ペースメーカーを植え込む手術をする事が決まり、その病院では手術が出来ないので急遽大病院へ転院、手術が終了したら再び私の居る病院に移され私の手術が行われるより先に瀕死状態から九死に一生を得るというミラクルを起こしているのでした。

 その後は私も母親も退院しお互いに治療生活を過ごしているのですが、母はペースメーカーを入れているという事で障害者1級という事になり、治療費は全額負担額が無くなりました。その他にもNHK受信料が半額になったり(重度の障害者の方は全額無料)、公共交通機関の料金が半額になったりタクシー料金も割引があったり色々な優遇措置があります。

 そういう事ですので私も治療費が殆どかからない安心感もあってか母の具合が悪くなると直ぐに病院に行くという感じになりました。例を挙げますと、母は年に2,3度目を腫らすという事が起こってました。それを往診診療の主治医の先生に告げると、目ヤニの成分分析にかけたりしてそれにあった目薬を処方してもらう事があったんですが、それでもまた発症する事があるので実際あまり効いていないのではないかと思い、私の知っている眼科に連れて行きました。その結果は人間歳をとってくると涙管が汚れなどで詰まり眼球を潤す妨げになる。従って目に細菌が溜まり目が腫れるのだとの事。

 結局その眼科に通う事になり、母の場合は涙管がガンガンに詰まっているらしく、涙管の傍に仮の管を埋め込み、その新しい管が涙管として機能したらその管を抜く。その後も新しい涙道の洗浄などで通院し、それが落ち着いたら両眼とも白内障が進んでいるので手術しましょうとの事になりました。

 白内障手術も無事に終わりましたが結局8ヶ月程の通院のうち結構な頻度でその眼科に通う事になりました。有難い事に白内障で手術する前後では見えていた視界が全然違うらしく「今まではテレビを観ていても出演者の表情が全く見えていなかったので面白くなかった。」との事です。日常生活においても「足元がはっきり見えていないと段差など歩くのが怖いというのが無くなるともっと自分で歩ける気持ちになった。」といいます。そんな治療を私の付き添う時間の犠牲は有りましたがほぼ無料で治療が受けられたのは本当に助かります。

 今朝も母親を連れて接骨院に行きました。3日程前に足首を痛めて相当歩きづらくなっていました。もしやまた骨が折れたのではないかと思いレントゲン検査をうけましたが骨には異常が有りませんでした。足は腫れているので捻挫の様な痛みでしょうとの事でシップとテーピングテープを巻いて様子をみましょうとのことでした。

 ただちょっとだけ疑問に思ったのが血液検査でした。素人考えなのでこんな事を言えるわけは無いのですが必要あるのかなと思ったのです。思い返してみると母が障害者認定となり医療費負担がなくなってから往診クリニックの先生も血液検査をする頻度が高くなった様な気がします。往診日も一時母の容態が落ち着いていた時は一ヶ月に一度の診察でしたが、今では再び隔週で診察して貰っています。血液検査も一時は2ヶ月ごと位だったのが最近では隔週ごとに検査している事があります。穿った見方をしたら患者は料金を支払わなくていいから治療を簡単に受け入れるだろうけど医者にとってみればいい稼ぎ口になると思って過剰な医療行為をうけているのではないか、という考えがよぎったのでした。

 母の高齢になった皮膚は弱くなり、一度注射を打つと紫がかったような跡が1週間位残り、それが腕のいろんな場所で見え隠れしている状態を見て、果たして私は本当に母の幸せになっている事をしているのかと疑問にも思うと同時に、この国の闇の部分を垣間見た気になりました。

ご覧くださいましてありがとうございました。